明日は卒業遠足だ。
きっと興奮で寝むりが浅かったのだろう。
寝返りをうってもう一度寝ようとするが一度気にしてしまうと声が気になって眠れない。
近所に赤ちゃんなんかいたっけ。と寝ぼけた頭で思考を巡らす。
いるわけ、ないよな。だってここら辺は少子化が進む土地で私の家の周りには新生児どころか「子供」と呼べる年齢は私だけだ。子供を生むような年齢の人もいないし、お年寄りばかり住んでるようなところだった。それも、身寄りもいないような。孫の存在だって聞いたことないし。
・・・猫かな。いつだったか担任の先生がいっていた気がする。保健体育で子供のでき方を説明する時、猫の発情期は赤ん坊が泣いてるような声が聞こえるのだ。と。
小学校の卒業間近という性に関しての興味を少しだけ持ち始めた時期の私は猫はどんなことしてるんだろう。と好奇心と探究心、あとほんの少しのスケベ心をもって見にいってみる事にした。
布団から出ると少し肌寒く感じてピンクのブカブカの上着を羽織る。
夜中に1人で外にでるなんて初めてだ。
両親が起きてしまわないように抜け足差し足で階段を下りて玄関へと向かい扉に手をかける。田舎だから鍵なんてかけたりしていない。なんだか悪いことをしている気分で、でもわくわくして胸が高鳴った。
もう私は中学生になるんだもの。別に怖いことなんてないわ。と思い切って扉をあけて外に出た。
扉の外は私が生まれてからずっと住んでいた町とはまるで別世界が広がっていた。
思わず息をのむ。深い闇。人工の光はみえない。静寂。
暫く立ち尽くしていると風で木々がゆれる音が聞こえてきた。
目が闇に慣れ次第に周りが見えてくる。闇などではなかった。空を見上げれば眩しいくらいに月と星が光り輝いている。ふりかえるとちゃんと私の住む家があった。安心してほっと息をつく。
ただ夜という魔法をかけられたそこは私が生まれてこのかた12年間住んでいた町とは思えなかった。
美しい闇に圧倒される。
夜の世界に魅了され、猫のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまった私は二歩三歩と踏み出して自分を闇に溶け込ませようとする。感動だった。ずっとはやくこの田舎で寂れた町から出て行きたいと思っていたのに。
私が「都会に住みたかった」という度に両親が「ここにはここの都会にはない魅力があるのよ。あなたも大きくなったらわかるわ」といっていたことをふと思い出した。
ちょっとだけ、わかった気がする。
小学校は一学年20人ほどしかいないし、お店も少ないし。まだ、都会への未練は捨てきれないけれど。 それは私が少しだけ大人になった証だろうか。
そう思うと嬉しくて口元がにやけるのを止められなかった。
―――――チリン チリンッ
突然今まで聞こえなかった人工物の音が聞こえた私ははっと音の聞こえた方を見やった。
「・・・鈴?」
雑木林が広がるだけで音が鳴りそうなものは何も無い。確かに鈴の音が聞こえた気がしたのだけど。
もう一度チリンッと聞こえる。
「ボクのコト、呼んだ?」
背後の、しかもものすごく至近距離から人の声がして私はびっくりしてすばやく後ろを振返った。
今まで人の気配なんてしなかったのに。そこには1人の少年が立っていた。
まず目についたのは大きく力強いスカイブルーの瞳。睫毛はふさふさとしてまるで女の子のようだ。
染めているのだろうか、見たこともないような薄灰色の髪はやわらかそうでとても人の手で染められたとは思えないほど美しく彼に馴染んでいる。
背は私より頭一つ分大きく少し見上げなくてはいけないが年は多分私と変わらないくらいだろう。
顔はまだ幼くクラスの男の子の何人かがなっていた”声変わり”というのもまだなようだ。
とても綺麗で澄んだ声をしている。
白い英語のロゴの入ったTシャツにジーパンというラフな格好であったがその素朴さがまた彼の美しさを引き立てているようだった。
なんて綺麗なんだろう・・・
私が見惚れて声を発せないでいると
「ごめん。驚かせちゃったみたいだね。」
そういってその少年はクスクスと笑った。
笑うと周りに花が咲いたようにパッと場が明るくなる。
急に恥ずかしさが襲い掛かってきて私は慌てて言葉を発した。
「え、いや、あの、どっどちら様ですか?」
「・・・?君、さっきボクの名前呼んでたじゃない。」
えっ?と訳がわからない私は彼を見つめると首元に赤い毛糸に古い鈴を通して結んだだけというオシャレとはいえない簡素な首輪を少年が付けていることに気がついた。
美しい少年に対してなんだかちぐはぐな気がしたが堂々と付けているとそれも”1人の少年”という芸術作品の一部であるように見えてくるから不思議だ。
「・・・鈴?」
「そう。アタリ。ボクはスズって名前なんだ。良い名前でしょ?」
自分で自分の名前を良い名前って言うものなのだろうか。
女の子みたいだが確かにスズという名前は美しい彼にぴったりだと思った。
「・・・うん。綺麗な名前。」
そういうと彼は照れくさそうに笑った
「君の名前は?」
「わたし?私はハル。春夏秋冬のハル。」
「そう。ハル・・・いいね、似合ってる。生命が始まる季節だ。」
男子なんて悪口しかいわなくて野蛮で最低な生き物だと思っていた私はもちろん面と向かって異性にそんなことを言われたのは初めてで思わず赤面する。
「照れちゃった?」
そういってさっきとは違い少しだけいじわるそうに笑ったスズは顔、赤い。といって私の頬に手を当てた。顔があつい。火が出てるんじゃないかって一瞬ほんとに心配して青ざめる。でもすぐに頬に当てられてる意外と男らしい手を意識して私はまた真っ赤になった。心臓が、痛い。
「ハル、おもしろい。顔の色がくるくる変わる。」
クスクス笑いながら手をどけられて風が火照った顔を冷やしてくれる。
まだ鼓動は収まっていなかったが少し冷静になった私はからかわれたのだと思って声をあらげた。
「お、面白くない!!!からかわないで!!!」
「ごめんごめん。つい、可愛いなーって。」
また顔が赤くなっていくのがわかる。でももう騙されないぞ。とキッとスズを睨みつける。
「スズみたいに綺麗な人にそんなこと言われても信じられないし。」
「ボクが・・・綺麗?」
「綺麗じゃん。ハーフだかなんだかわかんないけど、スズみたいな綺麗な人はじめてみたもん。」
彼は一瞬本当に信じられないというようにポカンとしてそれからお腹を抱えて笑い出した。
「ボクが綺麗・・・?ナニソレ。初めて言われた、ハルこそからかわないでよ。」
何がおかしいのかスズはまだ笑っている。
スズのような綺麗な人が今まで綺麗といわれたことがないなんて。
嘘に決まってる。でも、自分の美しさを鼻にかけない感じはとても好意的に思えスズが訳もわからず笑い続けているものだから面白くなって私も笑い始めてしまった。
ひとしきり笑い終わる頃にはと私達はすっかり打ち解けていて時間も忘れ夢中で話をした。
学校のこと、明日の卒業式はずっと行きたいと思っていた「夢の国」という遊園地に行くのだということ、将来は看護師になりたいというような親にも話したことの無い密かな夢までも。
話題が尽きることは無かった。
スズはとても聞き上手でしかもすごく楽しそうに話を聞いてくれるものだから。
「それでね、お婆ちゃん家にいた猫がすっごく可愛くて!名前は確か・・・」
なんだかスズが良く見えるなと思ったら、先ほどまで真っ暗だと思っていた空が白くなってきていた。
「・・・もう夜明けだね。もうそろそろ帰らなきゃ。」
「そっか。ごめん私、夢中で話しちゃって。」
「ううん。楽しかったよ。ありがとう。」
端っこだけ山から出てきた太陽の強い光に照らされたスズは眩しそうに目を細めながら笑った。
なんだかそれが儚くて。私は直感的にもう会えないのではないかと思って矢継ぎ早に質問した。
「また、会えるよね?お話できるよね?今まで町でみかけたことなかったけど近くに引っ越してきたから、ここにいたんでしょう?」
そういうとスズは困ったように笑う。
「ほら、少しでも部屋で寝ないと。今日卒業遠足なんでしょ?寝不足じゃ楽しめないよ。」
とハルを家へと促す。そんなこと言って、誤魔化されないんだから。
ハルは目頭が熱くなってきているのを感じた。嫌だよ、せっかく仲良く慣れたのに・・・
「・・・もう、会えないの?」
「きっと、きっとまた会えるよハルが良い子にしてたらね」
とあの意地悪そうな笑みでハルの頭を撫でた。綺麗なスズの顔がゆがんで見える。
ずるい。そんな急に子ども扱いして。わがまま言えなくなっちゃうじゃない。
「うん!良い子にする。だから絶対会いに来てね!」
「わかった、じゃあおやすみ。」
ちゅっとハルのほっぺにキスをしていたずらが成功した子供のように笑う。
スズは急に大人になったり子供になったり・・・なんなんだ!!
真っ赤になった私は「もうっ!」といって少し大きめの上着の裾で涙をぬぐうと
ちゅっとスズのほっぺにキスをして私は恥ずかしさに耐え切れず唖然としてるスズを置いて家へと走っていった。スズの方は見ずに「おやすみ!!!」と叫ぶ。
玄関の扉を開ける直前で後ろを向くとスズは幸せそうに笑っていて、更に恥ずかしくなって家へと入る。その途端、睡魔が襲ってきた。
そういえばこんな時間に起きていたの初めてだ。スズのいう通り遠足のために少しでも寝なきゃ・・・ ふらふらと部屋に向かい布団にもぐるとすぐに眠りに着いた。
それから10年の月日が流れた。
卒業遠足に出かけるとき玄関の前に赤い毛糸のついた鈴が落ちていて私は慌てて人差し指と親指でそれを拾い上げてポケットに入れた。
スズは結局それから会いにくることなんて無くて、最初は一年は町や新しく入った中学校でスズのことを真剣に探し回った。次の一年は私が良い子じゃないからスズが会いに来てくれないのだと思って必死に勉強も頑張った。けど、三年目からはそんな頑張りも馬鹿馬鹿しく思えて頑張ることをやめた。
でも、スズのことを思い出すとどうしても悪い子にはなれなくて反抗期はほとんど無かったように思う。中学校の一、二年で必死に勉強していた私は基礎がしっかりできたためか高校もそれなりの頑張りで良い成績をとることができた。大学は上京して良い大学に入るという選択肢もできたのだが未だ私はこの地から離れられないでいる。
夢だったんじゃないかと何度も思ったけど拾った鈴をみるとあれが確かな現実だったことを私に強く思わせる。まあその鈴も大学入学とほぼ同時に無くしてしまったのだけど。
明日からは長年の夢であった病院で看護師としての生活が待っていた。
あの日から丁度10年か。
夢が叶うということに興奮して寝れない私は10年前とちっとも変わっていないのだろうか。
10年という月日はあっという間だった気もするし、すごく長かったような気もする。でも私は心も身体も大きく成長した・・・はず。身長は20センチも伸びた。沢山恋もしたし何人かの人とお付き合いもした。でもどうしてもこの季節になると終わりをむかえてしまった。
春は”生命が始まる季節”なはずなのに。この季節になるとスズを思い出して、つい町で男の人の顔を確認してしまうのだ。会えるはずないってわかっていても。スズは私のこと忘れてしまっているかもしれないのに。そこから相手に色々疑われ、面倒になって終わりを告げる。それがいつものパターンだった。
別れたときはいつも色々考えると同時にスズのことも思い出していた。ほんの数時間だけ私の前に現れて今でも私の心を捕らえて放さない、彼は何者だったのだろうか。あの頃はハーフだから、と勝手に勘違いしていたが、今考えると目も髪もハーフだとしてもちょっと怪しいとこだらけだった。
もしかしたら彼は本当に夢の世界の住人だったのかも。あまりにもリアルだったから現実と混ざってしまったのだろう。そう思うと納得がいく。スズは確かに人間離れした美しさだったではないか。
それなら私はいつになったらあの日の夢の中の少年から解放されるのだろうか。
布団の中でそこまで考えて、寝れない。と思った私は布団を出てピンクの古ぼけた上着を羽織った。 少し外を歩こう。スズと出会った日から私は大嫌いだったこの町が好きになっていった。
スズと出会った場所ということもあるが一度友達と東京に遊びに行って人の多さや時間の速さに参ってしまったというのもあった。今ではすっかりこの田舎町が私のいるべき場所だ。という意識をもっている。空の星を見上げながら歩いた。寒さを感じて手をポケットに突っ込むと何か硬いものに手が当たって取り出した。ああ鈴、ここに入れてたんだった。10年前に買った上着、あの頃はブカブカだったけど今は少し丈が短いくらいになっていた。薄汚れてしまったけどお気に入りだったから捨てる気にはなれなくて近所を歩く時だけこの上着を使っていた。良かった捨てないで。鈴をなくしたと思ったときは慌ていて身近なとこを見落としてしまっていたらしい。
親指と人差し指でもう赤とはいえないほど薄汚れた毛糸を摘んでチリンッチリンッと鳴らす。
「スズ・・・・」
「ボクのコト、呼んだ?」
そう声が聞こえて思わず振り返ると、そこには――――――。
春、ねこのこい

2011.03.01